ウォーキング 銀の馬車道 春編 [生野]
2012年月29日(sun)
最近、会社の同僚はウォーキングにはまっている。
また一緒に歩きましょうかと話をしていて、早速決まった「銀の馬車道」走破計画。
朝来市生野と姫路市の飾磨港の間約49kmを、春・夏・秋の3回に分けて歩きます。
JR播但線生野駅
ここまでは鉄道を利用します。
生野銀山は、ここ朝来市生野町にあります。
一里(4㎞)ごとに距離がわかるようにした標識の一里塚。
ここは播磨と但馬の境界線があった一里塚の跡です。
銀の馬車道の基点に向かいます。
「鉱山口」
ここから銀の馬車道がスタートです。
別名「生野銀山道」、「生野鉱山寮馬車道」とも言い、当時の高速道路というべき馬車専用道路でした。
今日は同僚の知り合い、元山岳部の方と三人で馬車道を歩きます。
「朝来市旧生野鉱山職員宿舎」
三菱の社宅として建てられ、生野に現存する職員住宅のなかでも最も古く日本近代の生活様式を残す貴重な遺構です。
明治29年に宮内省から三菱合資会社に払い下げられ、官舎だった3棟に三菱の社宅として建てられた1棟を含め最も古い職員住宅です。
日本映画の名優・志村喬さんの生家は、職員宿舎のうちの1棟でした。
市川右岸に通されたトロッコ軌道跡。
鉱石や物資を輸送するため、生野鉱山本部~支庫(旧生野駅)間に大正9年に建設された電車(トロッコ)専用道です。
続したアーチは、土木遺産として専門家の間で高く評価されています。
生野に来ると、ここのパン屋さんは定番。
「Panca」さんです。
歩きながら食べるのも良いものです。
「盛明橋」
橋の名称は、当時の鉱山長「朝倉盛明」に由来しています。
生野峠手前にある小公園の「銀の馬車道」解説板。
銀の馬車道と思わしき所を歩く。
標高361mの「生野峠」です。
時々突然、名残の残る馬車道跡が残っています。
ここでコースマップに不明点が…
コースマップでは「銀の馬車道」が「神崎農村公園 ヨーデルの森」の中を行くことになっている。
道はあるのだが、フェンスがあって入れないような…
不可解だ?
神河町に入る。
峠からの下りであり、見晴らしも良い!
播但連絡道路沿いを、神崎北ランプまで下ります。
播但連絡道路神崎北ランプ入口の交差点から、国道312号線を歩きます。
昭和初期に、こんな一直線の馬車道があったのですね。
大年神社の「夫婦杉」
ちなみにこの神社のある集落は「杉」と言います。
2本の杉の間に大きな注連縄が渡してあるのですが、ここをくぐると夫婦円満、家内安全が叶うそうである。
当然、私はくぐりましたよ。
同僚は、お賽銭を出して何かを願ってましたね~(笑)
「かんざき大黒茶屋」でお昼。
「かんざき大黒茶屋」の手前を脇道に入って行くと、「銀の馬車道」で唯一昔のまま残っているとされている畑川原池を沿って歩きます。
このあたり一面の緑は麦です。
神河町吉冨の「いぼ地蔵」
赤穂義士の大石内蔵助と妻りくが京都・山科に向かう際に立ち寄り、道中の安全を祈ったと伝えられています。
お堂の回りの岩肌からわく水はいぼに効くといわれおり、確かに岩肌から水が流れてます。
観音橋の袂には、古い道標があります。
「銀の馬車道交流館」
銀の馬車道」の歴史や各種資料が展示されていており、休憩場所としても良いところです。
当時の馬車は木製の2輪車でした。積み荷も少なく、荷台の先にカジ棒をつけていたので四つ角では大回りをしなければ回れませんでした。
道路を水田より60cm高くし、 あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめる技術は「マカダム式」と呼ばれ、当時のヨーロッパの最新技術を導入することにより、雨等の天候に左右されず、馬車がスムーズに走行できる工事が3年がかりで行われました。
この馬車道により、物資を非常に早く輸送でき、生野から飾磨港までの輸送経費が8分1まで低減したと言われています。
「銀の馬車道交流館」の前は、古いと言うより、開いていない酒屋です。
「福本西」の交差点。
「銀の馬車道 春編」はここまで。
JR播但線寺前えきから帰ります。
夏は、ここからスタートです。
本日のウォーキング距離:約20㎞
最近、会社の同僚はウォーキングにはまっている。
また一緒に歩きましょうかと話をしていて、早速決まった「銀の馬車道」走破計画。
朝来市生野と姫路市の飾磨港の間約49kmを、春・夏・秋の3回に分けて歩きます。
JR播但線生野駅
ここまでは鉄道を利用します。
生野銀山は、ここ朝来市生野町にあります。
一里(4㎞)ごとに距離がわかるようにした標識の一里塚。
ここは播磨と但馬の境界線があった一里塚の跡です。
銀の馬車道の基点に向かいます。
「鉱山口」
ここから銀の馬車道がスタートです。
別名「生野銀山道」、「生野鉱山寮馬車道」とも言い、当時の高速道路というべき馬車専用道路でした。
今日は同僚の知り合い、元山岳部の方と三人で馬車道を歩きます。
「朝来市旧生野鉱山職員宿舎」
三菱の社宅として建てられ、生野に現存する職員住宅のなかでも最も古く日本近代の生活様式を残す貴重な遺構です。
明治29年に宮内省から三菱合資会社に払い下げられ、官舎だった3棟に三菱の社宅として建てられた1棟を含め最も古い職員住宅です。
日本映画の名優・志村喬さんの生家は、職員宿舎のうちの1棟でした。
市川右岸に通されたトロッコ軌道跡。
鉱石や物資を輸送するため、生野鉱山本部~支庫(旧生野駅)間に大正9年に建設された電車(トロッコ)専用道です。
続したアーチは、土木遺産として専門家の間で高く評価されています。
生野に来ると、ここのパン屋さんは定番。
「Panca」さんです。
歩きながら食べるのも良いものです。
「盛明橋」
橋の名称は、当時の鉱山長「朝倉盛明」に由来しています。
生野峠手前にある小公園の「銀の馬車道」解説板。
銀の馬車道と思わしき所を歩く。
標高361mの「生野峠」です。
時々突然、名残の残る馬車道跡が残っています。
ここでコースマップに不明点が…
コースマップでは「銀の馬車道」が「神崎農村公園 ヨーデルの森」の中を行くことになっている。
道はあるのだが、フェンスがあって入れないような…
不可解だ?
神河町に入る。
峠からの下りであり、見晴らしも良い!
播但連絡道路沿いを、神崎北ランプまで下ります。
播但連絡道路神崎北ランプ入口の交差点から、国道312号線を歩きます。
昭和初期に、こんな一直線の馬車道があったのですね。
大年神社の「夫婦杉」
ちなみにこの神社のある集落は「杉」と言います。
2本の杉の間に大きな注連縄が渡してあるのですが、ここをくぐると夫婦円満、家内安全が叶うそうである。
当然、私はくぐりましたよ。
同僚は、お賽銭を出して何かを願ってましたね~(笑)
「かんざき大黒茶屋」でお昼。
「かんざき大黒茶屋」の手前を脇道に入って行くと、「銀の馬車道」で唯一昔のまま残っているとされている畑川原池を沿って歩きます。
このあたり一面の緑は麦です。
神河町吉冨の「いぼ地蔵」
赤穂義士の大石内蔵助と妻りくが京都・山科に向かう際に立ち寄り、道中の安全を祈ったと伝えられています。
お堂の回りの岩肌からわく水はいぼに効くといわれおり、確かに岩肌から水が流れてます。
観音橋の袂には、古い道標があります。
「銀の馬車道交流館」
銀の馬車道」の歴史や各種資料が展示されていており、休憩場所としても良いところです。
当時の馬車は木製の2輪車でした。積み荷も少なく、荷台の先にカジ棒をつけていたので四つ角では大回りをしなければ回れませんでした。
道路を水田より60cm高くし、 あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめる技術は「マカダム式」と呼ばれ、当時のヨーロッパの最新技術を導入することにより、雨等の天候に左右されず、馬車がスムーズに走行できる工事が3年がかりで行われました。
この馬車道により、物資を非常に早く輸送でき、生野から飾磨港までの輸送経費が8分1まで低減したと言われています。
「銀の馬車道交流館」の前は、古いと言うより、開いていない酒屋です。
「福本西」の交差点。
「銀の馬車道 春編」はここまで。
JR播但線寺前えきから帰ります。
夏は、ここからスタートです。
本日のウォーキング距離:約20㎞
銀の馬車道、今はとても人が歩くような道じゃございませんなぁ。
トロッコ跡、恒例のパン食、charingo!はんのパワー炸裂やね。
歩きってイイですよね。 昨日はusj。沢山歩いた。
by 四十路のおっさん (2012-05-03 06:05)
耳知識で言葉だけ知っていることをこうして写真で見せていただくとまた新たな発見がありますねえ。それにしても何気ない道が風情があります。
by moumou (2012-05-03 09:07)
昨年、銀の馬車道を自転車で走る計画を実行しましたが、こうしてみると途中で見失って当然ですね!!(笑)
全然道が分からなかったですもん!!(笑)
しかし、銀の馬車道を走るサイクリングイベントもあると聞いたことがあるので、是非参加してみたいですね!!(笑)
by yosshu0715 (2012-05-04 10:13)
へー、馬車道の跡なんてのがあるんですね。面白いです。
夫婦杉をくぐったので、これでなおいっそう夫婦円満も間違いなしですね♪
by こーじ (2012-05-04 14:31)