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銀山まち回廊2 [生野]

志村 喬(しむら たかし)
黒澤明監督のほとんどの作品に出演しており、私の記憶に深く刻まれているのは「七人の侍」であります。
何故、ここで「志村 喬」を登場させたのかと言うと…
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「生野まちづくり工房井筒屋」
江戸時代、生野銀山が天領だった頃、生野銀山町は一般の宿泊が禁止されていました。
その時、公事人の宿として6軒の郷宿がありました。
生野代官所が統治する遠地の村役人が公用や訴訟で代官所に出頭した時、彼らの世話をしたのが郷宿です。
井筒屋はその一軒です。
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天保3年(1832年)に建築され、生野町でも数少ない貴重な歴史的建造物です。
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生野町のまちづくりに役立てて欲しいとのことで、平成11年に吉川家から土地・建物等一式を生野町に寄贈され、生野まちづくり工房井筒屋として改修され、史料や昔の生活用具も展示されていたり、裏庭の蔵もギャラリーとして公開されています。
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「生野ひいき人の部屋」は…
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昔なつかしい生活用品のある部屋です。
ここは「生野ひいき人倶楽部」の交流の部屋となっているようです。
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「生野瓦」
山間部の寒冷な気候に耐えられるよう硬く焼き締められ、その渋みのある赤っぽい色合いから赤瓦とも云われています。
生野瓦のルーツははっきり判っていないようですし、現在は生産されていないようです。
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「カラミ石」
鉱石を製錬する時、まず鉱石を粉にして溶かし比重の重い銀や銅などの金属成分は下に沈み、比重の軽い岩石の成分「鉱滓」は上に浮きます。
此の浮いたものがカラミで廃棄物として捨てられていましたが、量も増えてくると鉱滓を鍋型の容器で冷やし、箱型容器で成型しカラミ石として売り出されたようです。
カラミ石は非常に重く運ぶのが大変なので、近くのところに運んで寺の塀や建物の土台の素材や水路に使用されていました。
この四角い塊で、100㎏はあるようです。
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「あるじゃん」
「生野もりあげ隊」が生野の活力発信基地となるように、町内の空き店舗を手づくりで再利用した施設です。
生野らしい商品を持ち寄り販売したり、駄菓子の販売なども行っています。
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1960年代のビートルズと1950年代のオロナイン軟膏が隣り合わせに展示。
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我が青春時代のアイドル、キャンディーズです。
私は当時××ちゃんのファンでした。(・///・)
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実際に手にとって見ることもできます。
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ここにも昭和の雰囲気が残っています。
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このラジオは現役でした。
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店先にはホッケーゲームが。
ここは土、日を中心に開店しているようです。
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「銀山まち口番所」
あるじゃんの隣にあります。
商工会の方が当番で開けている、土・日曜日の案内所とのことです。
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何気なく入ると、「お茶を入れます」と声をかけていただく。
ご好意に甘えお茶をすすっていると、お土産品の中で気を引くものが…
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「からみ」
はて? 何だろう…ということで、店の男性の方に聞いてみる。
「カラミ石」について先程書きましたが、「カラミ石」に見立てた生姜の飴だそうです。
生姜の味だと思いますが、チョッと興味があったので買ってしまいました。
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店の中を見渡していると、銀山の売店(旧三菱金属 生野購買会)で実際に使っていたレジスターです。
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「もっと奥も見て下さい」と勧められ、奥の部屋に行くと、「志村 喬」の全身ポスターが。
「はて?」と思っていると、おばちゃんが寄ってきていろいろお話をしていただきました。
志村 喬さんはここ生野町の口銀谷の生野鉱山社宅(先程見てきた旧鉱山官舎)で生まれたとの事です。
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兄の島崎敬夫(志村 喬さんの本名は島崎 捷爾(しまざき しょうじ)と言います)は横浜ゴム社長を務めた人物で、パネルには当時会長だった頃の兄弟のツーショットが飾っていました。
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当時の生野鉱山社宅はボロボロだったようです。
志村 喬の生家はもう無いようですが、現在の改修工事で資料館が出来るようです。
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当時の生野町は豊かな町で、『お肉を店に買いに行っても「かしわ(鶏肉)」「豚肉」が売っていなかった』と言われ…
始め意味が判らなかったのですが、要するに「牛肉」しか売っていなかったとの事です。
「え~!!」っと言いながらお話を聞いていてふと気がついたのが、地元生野町の特産品の棚…
「あれ!?」この人、目の前にいる人だ!!
という事で、「石川醤油」の主人(の奥さん?)と判明。
おばちゃんの話によると、店には歴史的価値のある看板があるらしいが、『お客さんがその価値を知って綺麗に梱包してくれたけど、直ぐ解いて廊下に置いてるんや』と笑っておられました。
「おおらか~!!」
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生野には、賑やかな頃の鉱山住宅の食卓にのぼっていた「ハヤシライス」という名物があります。
町内で10件の店がハヤシライスを出しているのですが、皆、具や味が違うオリジナルだそうです。
ここ「銀山まち口番所」のハヤシライスは、牛肉がうりらしいです。
では、戴くことにしましょう。
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銀山全盛の時代、お婆さんがハヤシライスを作っていたくらい、当時はハイカラなものも生野町にはあったとの事です。
何年かしているうちに、今年辺りから「銀山まち口番所」のハヤシライスの味が決まって来たとの事です。
あ~、美味しい。
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ちょっと甘酸っぱい「昭和30年代の味」と、コクある味わい「昭和40年代の味」の2種類が商品として売られています。
とか何とか話して、長い時間腰を据えてしまいました。
もう一軒寄ってみたい所があるので、出発です。
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寄ってみたかったのは焼きたてパン工房「Panca(パンカ)」
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古い町屋を店舗にしています。
町並みガイドに載っていたので、帰りの補給食として寄ってみる。
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「店の中を撮らせて下さい」と言うと、快く承諾してくれました
最近誰かの自転車のブログに載ったらしく、自転車乗りがよく来るそうです。
また、皆さんも行かれる事があれば、寄ってみてください。
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という事で、ここからは自走で加古川まで帰ります。
おっと、これは説明しておかなければ…
「銀の馬車道」
生野町と姫路の飾磨港の間約49kmを結ぶ馬車専用の道路で、日本初の高速産業道路と言われています。
産出した銀を港に運ぶ一方、港から鉱山に精錬に必要な機械や石炭が運んでいました。
この道をたどって帰るとします。
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生野峠を下って行きます。
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国道沿いは雰囲気が無いのが残念です。
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JR播但線 鶴居駅で休憩。
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「Panca(パンカ)」で買ったパンを戴くことに。
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この後、福崎町内で道に迷い、暫らく迷走。
結局「銀の馬車道」を見失ってしまい、普通の道を姫路まで出て加古川に戻りました。
最後はあっけなく終ってしまいました。
本日の走行距離 83.5km

…と、終わりそうで終わらなかったのです。
翌の日曜日、会社の同僚宅に妻とお邪魔させてもらうことに。
そこで「銀の馬車道」の続編に続いていくのです…(えらい大層な!!)
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コメント 14

Fuel

charingo!さん こんばんは
生野もこうやってみると風情のある良い街ですね。
懐かしい品物に美味しそうなハヤシライス。
それに小腹が空いた時のパンね。
あのパン屋さんは自転車乗りにとっての聖地
いわば三木のコロッケ屋さんみたいなものですよ。
志村喬さんが生野の出身だったのは初耳でした。
ちなみに私はミキちゃんが好きでした。
by Fuel (2010-06-03 00:55) 

m

いつも風情のある素晴らしいレポート有難うございます。
帰り道のレポートも楽しみです。
by m (2010-06-03 07:14) 

teddy0905

charingoさん!!
 いつもながら素晴らしいReportです!!
志村さんの生家!大正、昭和初期の生活が本当に目の前にあるんですね!
当愛知知多の田舎も旧い町並みがどんどん無くなっています。
寂しい限りですね!!
 生野峠:Markしました!!
by teddy0905 (2010-06-03 10:28) 

kummy

歴史を辿る旅は良いものですね!
いつも素敵なレポートをありがとうございます(#^-^#)
by kummy (2010-06-03 13:09) 

hayazou2002

こんばんは、昭和を思い出す
すばらしいレポートです。
私はキャンディズより
ピンクレディーでした。
by hayazou2002 (2010-06-03 19:59) 

toshi

こんばんはー^^
良い旅されていますね~
パン屋のおねーさんの笑顔も素敵ですし
町並みも大好きになります♪

私はミキちゃんでした^^;
志村さんはとっても深みがあるお芝居が素敵な役者さんでしたね☆
by toshi (2010-06-03 21:45) 

caad9

この昭和感、たまらなく好きです。
by caad9 (2010-06-03 22:40) 

charingo

Fuelさん
nice! & コメント、ありがとうございます。
生野峠を上って行けるのは何時頃になりそうか…

そうですか!
ミキちゃんのファンですか!!
実は私もミキちゃんなんです。(・///・)
by charingo (2010-06-04 22:37) 

charingo

mさん
コメントありがとうございます。
福崎辺りの「銀の馬車道」が判り辛かったです。
お陰で方向を見失い、どっちへ走ったら良いのか判らなくなってしまいました。
お恥ずかしい話です。
by charingo (2010-06-04 22:39) 

charingo

teddy0905さん
nice! & コメント、ありがとうございます。
古い町並みは、何とか残して欲しいですね。

生野峠、是非とも走破してみてください。
by charingo (2010-06-04 22:45) 

charingo

kummyさん
nice! & コメント、ありがとうございます。
マラソンで、歴史街道を走るのも良いんじゃないでしょうか。
by charingo (2010-06-04 22:48) 

charingo

hayazou2002さん
nice! & コメント、ありがとうございます。
ピンクレディーですか!?
丁度、世代交代の時ですね~
by charingo (2010-06-04 22:50) 

charingo

toshiさん
nice! & コメント、ありがとうございます。
みんな良い人ばかりでしたよ。

志村さんの「七人の侍での島田勘兵衛」は、適役だったと思います。
モノクロ映画だったので、余計に渋さが出ていたと思います。
by charingo (2010-06-04 22:55) 

charingo

caad9さん
nice! & コメント、ありがとうございます。
この雰囲気、良かったですよ~
by charingo (2010-06-04 22:56) 

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